コシヒカリ物語 ホームへ戻る
日本一美味しいと言われてる新潟コシヒカリ。 しかしこの名声を獲得するまでは、長い年月と先人の苦労があったからです。 昔、新潟の米は「猫またぎ」と言われ、まずくて猫もまたいで通る、と言われていたそうです。 私が子供の頃、 味よりも量の時代、「百万トン米作り運動」が展開され、新潟県で百万トンの米を生産しよう、という運動がありました。 そんな味より量の時代に、もうコシヒカリは誕生していたのです。 |
その3 いもち病に強いコシヒカリ BL |
コシヒカリは、いもち病という稲の病気に非常に弱い品種です。 梅雨が長かったり、冷夏だったりすると、この病気が広がります。いもち病はカビの一種なので 温度と湿度が広がる最大の要因です。最初は葉に病斑が現れますが、穂に移行すると大変なことになります。 大発生の年は収穫皆無ということもあったと聞いています。 このいもち病に弱い特性を何とかしようと昭和61年から研究され、抵抗性の異なるコシヒカリが開発されました。 この技術は遺伝子組替えではなく、従来から用いられている、連続戻し交配方という方法だそうです。 ですから開発にこのように長い時間がかかったのでしょう。 この新コシヒカリは生産者と消費者に十分理解してもらうため、猶予期間を設け 平成17年より作付け開始です。味は今までと全く変わりませんし、安全は今までより向上しました。 |
その2 作りづらい品種 |
コシヒカリは非常に作りづらい品種です。 まず、丈が長くなり、倒伏しやすい。これは苗の時からも同じで、すぐ伸びすぎます。伸びすぎた苗は軟弱で植え痛みが多くなり、回復するに時間がかかります。 少しでも肥料を多くやると、伸びすぎ秋の刈取りの頃にはベッタリと倒伏してしまいます。農家はこの倒伏を最も警戒しますので、否が応でも肥料の散布量を控えます。 ですから、収量は多くは望めません。早生品種が10アール当たり10俵取れるなら、コシヒカリは8〜9俵で しょう。 この多肥料栽培できないのも良食味の原因の一つです。 それと、病気に弱い。特にイモチ病には極端に弱いです。数年前の冷害の年には、かなりのダメージがありました。東北では全滅の所もあったほどです。 出穂が8月中旬なので、刈り取りが10月に入ることがある。こうなると秋の長雨にかかることがあり、品質低下につながります。 やはり美味しい米は、作りづらいものなのでしょうか。 |
その1 コシヒカリ誕生 |
昭和19年、新潟県農業試験場で、農林1号を父に農林22号を母に交配され誕生しました。 後に福井農業試験場へ分譲され、越南17号という系統が出来上がりました。 丈が長く、イモチ病に弱い欠点があり、当時見向きもされず、種子倉庫に眠っていたのですが、 時代が量より味に変わり、作りにくいが品質と食味が極めて良いことから、昭和31年に新潟県が全国に先駆けて 奨励品種に指定しました。 「越の国に光り輝く」という願いをこめて「コシヒカリ」と命名しました。まだ昭和30年代は味より量の時代で、 脚光を浴びるようになったのは昭和50年代になってからです。 参考 日本一うまい にいがたのコシヒカリ |
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