その50  食の安全と自給率  08.3.1
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 毒入り餃子に始まり、輸入食材の農薬混入問題が大きく報じられています。人意的な混入は論外として、残留農薬問題は我々日本の農家としても対岸の火事では済まされない、身近な問題として考えて行かなければなりません。
 ポジテブリスト制が導入され、規定以上の農薬の散布はもちろん、他の農作物への飛散も厳しい規制が設けられています。たとえば田んぼと畑が隣り合わせの場合、どちらの農薬も隣の作物にかかってはならないのです。これらの規制は食の安全の観点から重要な取り決めであり、我々農家は真摯に実行しなければなりません。

 昔、日本でも殺虫剤でパラチオンという農薬を使っていました。商品名はホリドール、これはかなり怖い農薬で田んぼにいたイナゴは、この時期全て死んでしまったのです。散布した後は田んぼに赤い旗が立てられており、田んぼに立ち入り禁止だったことが思い出されますし、幼心にこの農薬での事故があったことが脳裏に焼きついています。その農薬が某国では最近まで公然と使用されており、いまだに流通していると言いますから驚きです。

 日本では農薬の使用は厳しく制限されています。品目ごとに使用量、使用回数が決められています。これを守ることが我々農家の使命ですし、食料を作る者としての責務でしょう。
 農薬は使わなければ一番良いことは、農家自身がよく知ってるのですが、虫食いだらけの野菜は誰も買わないのも知っています。必用最低限で使うことを消費者も知っていただきたいのです。

 また食料自給率もカロリーベースで40%を切りました。100%なのは米だけでしょう。日本人の胃袋を満たす60%が外国に依存しているという事実。そしてこれからは穀物を誰が食べるかも大きな問題です。今までは人と家畜でしたが、新たに車も穀物を食べる(バイオ燃料)時代になりました。世界中で穀物の奪い合いになることは必至です。そこで自給率40%以下、農家も真剣にこのことを考えなければならない時期に来たようです。
 
 米さえ作っていればいい時代は終りました。地域に合った、地域色のある食料を生産していく時でしょう。新潟は新潟の米以外の地域に合った作物があるはずです。北海道から沖縄まで、地域に合った作物を作り、少しでも自給率を上げる手立てをする必要があります。

 長文になりましたが、日本人の米離れと言われて久しいですが、戦後50年以上欧米の食文化に慣らされて来たのも事実です。戦争に負け食糧難の時代、欧米の援助があったことも事実です。それに胃袋が慣らされて来たのも事実でしょう。

 今更昔の食生活に戻れ、とは言いません。パンを食うなとも言いません。しかし日本人は縄文の時代から脈々と受け継がれてきた固有の食文化があります。少しでいいですから、それを見直すべきではないでしょうか?

 そろそろ本来の日本人の食に戻る時期であるような気がします。
 戻すには歩んだ時間と同じ時間、50年が必要でしょうか?