週刊あぜみち  ホームへ戻る

                                              週刊あぜみちNo1〜No10までのリンク
   田舎の身近な情報を写真と短いコラムでお知らせします。


NO24  折り紙教室 2月22日
村の団体、ふるさと塾主催で、子供向けの折り紙教室が開催された。
ひな祭りが近いことから、お雛様の折り紙作り。
子供は意外と覚えが良く、テキパキ折るが、指導する大人のほうが
うまくいかない。
約2時間、飽きずに、夢中で作れば、時間はあっという間。
しかし、このようにして教えなければ折り紙が出来ない時代なのだろうか。
昔は子供同士、先輩に教わりながら折ったものだ。

NO23   賽の神  1月13日
 毎年小正月に,賽の神という行事が行われる。
本当は1月15日であるが、現在休みの関係で1月のハッピーマンデイに
する地区が多い。(成人の日)
 竹で骨組みを作り、稲藁で周囲を囲う。中に萱などをつめ、高さ3〜4m
の円錐形に作り上げる。
 そこに昨年の古い御札や正月の松飾りなどをいれ、火を付け燃やす。
この火でスルメや餅をあぶって食べると、一年中風邪などひかない、という
言い伝えがある。竹が燃えて弾ける音が心地良い。
 昔は宗教的意味合いが強かったらしいが、現在は古くなった御札などを焼く
いい機会である。当然大人達は終わってから宴会。
 正月ムードもこれで終わり、そういうけじめの行事になってしまった。

NO22   冬晴れ  03年1月9日
雪国でも、時として晴天になることがたまにある。
夜から晴れていると放射冷却で朝方どんどん気温が
下がり、−5℃位まで下がる。
表面がシャーベット状に融けた雪が、ガチガチに固まり
人間が歩いても埋まらないで、どこまでも歩いていける
雪原が誕生する。
この状態になると雪の上を縦横無尽に歩き廻れるのだ。
通称「しみわたり」と言い、子供の頃はこうなるのが楽しみ
だった。朝の通学はしみわたりで近道して行ったものだ。
この現象も朝の内だけ、気温が上がれば歩けなくなる。
久々のしみわたり、童心に返り歩き廻った。

NO21    モノクロの世界    12月12日
雪国であれば必ずやって来る冬将軍。今年は12月10日の夜からやって来た。ついに来るものが来たかという感じである。
11月下旬から12月中旬には必ずやって来るが、今年も間違いなく来てくれた。夜半より降り出した雪は、見る見る積もり、朝には40cmを記録。
次の日も降り続きかなりの積雪を記録。あたり一面真っ白になり、モノクロの世界へと変貌してしまった。
空は鉛色、景色から色を取り除いてしまう。
たぶんこの雪が根雪になり、来年の春まで白さが増す事はあっても、色が着くことは無いだろう。
雪国に住む者は、色彩に富んだ春が待ちどうしいのである。
降雪量と積雪量は違います、降った量が降雪量、積もった量が積雪量。
NO20    天気に誘われて  11月23日 
10月の後半より雨ばかりで、久々の晴天となった。
家周りの片付けが山ほどあるが、天気に誘われて大峰山へブラリと足を伸ばしてみた。
夕方、デジカメだけを持ち落ち葉を踏みしめながら展望広場へ。
紅葉も終わり、静かになった山小屋があった。
管理人がひなたぼっこを兼ね木の実と蔓で細工をしている。
たずねるとクリスマスツリーを作るとのこと。
そういえば、あと一月でクリスマスである、あっという間の一年である。
ここには色々な小鳥が遊びに来る。管理人が餌付けして、なれているのだ。
静かな晩秋の山を歩き、充実した午後の一時であった。
NO19   わら細工に挑戦
当村の小学校で、実習田のわらを利用して,わら細工が行われた。
シニアクラブの方々の指導により、ぞうり、むしろ、つとこ(果物などの保存容器)などを作った。
さすが昔取ったきねづか、忘れたと言っても始めれば自然と手が動く。今は民芸品でしか見た事のない物を作ることで子供達は興味津々のようす。
70歳以上の方々でないとこの技術はもう無い。
この技術を保存し、伝えていかなければならないのではないか。

NO18    小学校餅つき大会 10月20日
当村の小学校で、毎年恒例の餅つき大会が行われた。
生徒達が春から育てて今秋収穫したコガネモチ品種の餅である。
展覧会と同時開催で、親子先生が一緒に餅をつき、今年の実習田の
収穫を喜ぶ。今となっては珍しい杵と臼での餅つき、現在ほとんどの農家は
自宅で餅をつくことをしなくなった。
するとしても杵、臼でなく機械でついてるので、子供達にはよい体験になる。

時代の変化と共に、餅つきも家庭の仕事から学校、地域の行事に
なってしまった。
このような餅つきは、行事として残さないと滅びて行く運命なのかもしれない。

ついた餅は、あんこ、きなこ、醤油餅として食べた、美味しかった。
NO17   櫛形山脈縦走登山 10月6日
当村の中学校で、日本一小さい山脈「櫛形山脈」の縦走登山が行われた。
日本一小さいといっても山脈、縦走するには一日がかりである。
最長コースのスーパーチャレンジは、朝7時30分出発してゴールは3時30分。
約8時間の行程である。約300人の生徒が事故無く完歩する事ができた。

地元の素晴らしい自然を満喫した一日であったが、
しかし中学生ともなると体力は相当なもので、引率の先生、
保護者のほうが大変だったようである。

左写真 ブナの原生林の中を行く
右写真 最高峰、櫛形山頂上にて

NO16  バインダーで刈取り 9月14日
私の友人が今は懐かしいバインダーで稲刈りをした。
品種はコガネモチという日本一美味いもち米。
約5アールを自家用に作付けしている。
これを正月の餅や赤飯にするのだ。
毎年バインダーで刈り、はさに掛けて干す。やはり米は天日乾燥が
最高だが、今は乾燥機で自動的に乾燥してしまう。

貴重なもち米である。

左写真 1条刈りのバインダーでの刈取り。この機械は最近見なくなった。
右写真 稲のはさ干し、昔はこうして乾燥したが、今はほとんどしなくなった。
NO15  小学校稲刈  9月10日
当村小学校の稲刈が行われた。春に手で植えたコガネモチという品種。
田植えから稲刈、そして籾摺り、最後は餅つき大会で皆で食べる。
余った米は村の収穫祭で売ってしまい、収益を寄付するという、
一年を通しての活動なのだ。

最初、鎌で刈りそれを束ねてみる、シニアクラブの皆さんの指導で行うが
うまくいくはずがない四苦八苦の作業であった。
しかし昔の農作業を少しでも体験できたことは意義があっただろう。
今の子供達は農家の生まれでも農作業を知らない、学校での体験が
大切な経験となる。都会の子供達には体験出来ない環境がまだここに
あるのが嬉しい。下段左外人英語教師は上手かった。

NO14 もみ殻の行方 9月9日
経営面積の大きい農家にとって、もみ殻は厄介者の一つである。春の育苗用クンタンなど、それ程多く必要としない。有機質として圃場に散布しようとしても雨が続けば、ぬかるんで機械散布が出来ない。今のご時世、野原で焼くわけにもいかない。
私の場合、畜産農家と友人なので大いに助かる。増し枠したダンプに積み込みそのまま牧場へ、牛の敷き床となる。来年には糞尿と混ざり良質の堆肥となる。それを田畑に散布するわけだ。
No13 有機米審査 8月27日
新潟県認証の減農薬減化学肥料栽培米の審査が行われた。
出席は栽培者、農政事務所、普及センター、確認責任者、役場担当者など。

左の写真
机上で栽培経過、使用肥料、農薬などのチェック、購入伝票、成分、使用方法、使用時期などが調べられる。
右の写真
現地圃場での審査、圃場の様子、表示看板などが調べられる。

狂牛病、偽装牛肉から始まり、ハムの偽装、最近では発ガン性のある
農薬の果樹への散布、と消費者を裏切る行為が報道されているので、皆真剣である。

No12 ポッポ焼 8月16日
最近知ったことだがポッポ焼は下越地方にだけあるお祭りでの露天商らしい。
小麦粉と黒砂糖を水で混ぜ、棒状に焼いた食べ物だが、子供の頃からお祭りになれば必ず食べている、お祭りには付き物の食べ物である。
焼く機械から蒸気が上がっているので
その姿からポッポ焼、蒸気パン、と呼ばれている。
小麦粉と黒砂糖の焦げる匂い、ほのかな甘み、上がる蒸気、これが新潟下越地方のお祭りの風物詩である。最近後継者がいなくて、すたれるだけかもしれない。
No11 大雨 8月14日
左写真、大雨直後の田の様子。 8月14日明け方強い雨が降った。
今年になり何回目の大雨であろうか。川が増水して写真のような姿になる。
本当は手前に川があるのだが、増水してあふれ、田に流れ込んでいる。
まだ稲穂が十分に実ってないので倒伏はしないですんだが、実るにつれ
大雨が心配だ。
右の写真、早生種の「こしいぶき」
早生はかなり実ってきた。この「こしいぶき」はコシヒカリに変わる
品種として有望視されているが、早生で茎が短いので倒伏の心配が無い。
コシヒカリ並の食味という宣伝文句だが、はたしてどれほどのものか?
9月10日頃には刈り取りだろう。

そうえん農場は北越後、加治川村に米作りをしている百姓です
〒959-2411 新潟県北蒲原郡加治川村横岡1910−1
下條荘市
fax0254-33-3330 メールアドレス souen@shimojo.tv